旧市街は、1010年にハノイに都が置かれてからタンロン城と紅河の間に発達した街です。朝廷に献上する品物を作るための職人達が集められたのが始まりです。同じ職業をもつ人々によって「坊」が作られ、それぞれの通りに扱う商品の名が付けられました。時代と共に坊の数は変わり、後黎朝(1428~1789)時代に36の坊と通りがあったことから「36通り(Ba sáu phố phường)」と呼ばれるようになりました。
一方、15世紀頃から旧市街には華僑が住み始め、19世紀には同郷の人々の会館(中国人の集会所兼神社)を建て商売を発展させていきました。
現在立ち並ぶ商店のほとんどは、仏領時代19世紀後半以降に建てられたものですが、15世紀の頃からの通りや、坊ごとに建てられた亭(ベトナム人の集会所兼神社)、華僑が建てた会館、神社などの古い歴史を持つ建物も残されています。
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ハノイ旧市街について、ミンシン会社のツアーを参考していただきます。
山崎 こんにちは、山崎千佳子です。
ソン こんにちは、ソンです。今日のハノイ便りは、ハノイ旧市街についてです。
山崎 私はこの前の連休にホイアンに行って、ホイアン旧市街を歩いたんですが、昔ながらの街並みは趣があってよかったです。ハノイもそうですけど、どこの町でも旧市街というのは懐かしさを感じてひかれますね。
ソン そうですね。昔のハノイは小さな町で、その中心は現在ハノイ旧市街と呼ばれている所でした。ちなみに今のハノイですが、昨年、2015年の統計によりますと、面積はおよそ3300平方キロメートルで、人口は750万人。ベトナムで2番目の大都市です。
山崎 1番はホーチミン市ですね。ハノイはベトナムの首都ですけど、これはベトナム戦争の後ですよね?よく「ハノイ遷都1000年」という言葉を見聞きするんですが、これはいつからのことを言っているんでしょう?
ソン はい。1010年にリー・タイ・トー王(リー・コン・ウアン王)がベトナムの都を北部のニンビン省ホアルー地区からハノイに移した時からですね。その1000年後の2010年には、ハノイ遷都1000年の様々な記念行事が行われました。
山崎 なるほど。そんな昔から、ハノイはベトナムの中心都市だったんですね。でも、なぜハノイを都にしたんでしょう?
ソン 世界遺産になっているハノイのタンロン遺跡には、当時ダイラ城というお城があったんですが、その城について、リー・タイ・トーは「ダイラ城は大地の中央にあり、山を従え川に面している。その土地は広く平らで、かつ高台にある。ここに住む民は明るく、湿気はあまりない。万物は繁栄し、ベトナム全土を見ても、ここはまさに景勝地である。永遠の都として選ばれるに値する」と遷都に関する文書に記しています。
山崎 なるほど。いい場所だったんですね。昔からお城があったタンロン地区ですが、なぜタンロンと言うんでしょう?タンロンは昇り龍という意味ですよね。
ソン これは伝説から来ているんです。1010年の秋、リー・タイ・トー王は、空に昇っていくような竜の形の雲を見て、都をタンロン(昇龍)と命名したということです。
山崎 それからしばらく、ハノイは都だったんですね。
ソン はい。リー・タイ・トー後の各世代も、このタンロンへの遷都を讃えたそうです。
山崎 確かに地理的に便利なところですよね。ホン川のデルタ地帯の中心部にあるので、河川を使っての物流にもいいですし、いろいろなところへ行くのに便利です。
ソン そうですね。そういうのもあって、タンロン・ハノイは昔からベトナムの政治や宗教の中心地となってきました。
山崎 王様や貴族などが住む城の他に、一般住民の居住地として61の地区があったということですね。歴史研究家(グェン・クアン・ゴックさん)の話です。
(テープ)
「この辺りは交通の要衝で、貿易活動に非常にいいところとされています。また、人口の増加から経済が発展してきました。こういったことから、ハノイは交易の中心地となったんです。」
山崎 ベトナム全土にある伝統工芸村の優れた職人は、当時の都、タンロンに集まってきたそうです。
ソン そういった職人たちが現在のハノイ旧市街、いわゆるハノイ36通りを作りました。
山崎 これも前から気になっていたんですが、なぜ36通りなんですか?
ソン はい。その昔、通りごとに同業者の組合があって、その通りが36あったことに由来します。銅の鋳造や金や銀細工、シルク、布地屋などがありました。
山崎 今はその通りの名前通りの物を売っていなくても、同業者が同じ通りに集まるというのは変わっていないですね。おもちゃ屋さんが並ぶ通りや仏具店の通りなどがあります。その通りの名前なんですが、ハンで始まるところが多いですよね。ハンガイ、ハンマー、ハンホム、ハンガーなど、まだまだあります。
ソン そうですね。ハンは製品、または、店舗という意味です。ハンの後に続く言葉で、何屋さんかわかります。
山崎 例えば、ハンノンだと、ノンはノンラー、菅笠ですか?
ソン 当たりです。ハンノンは、菅笠通りになりますね。同じように、ハンバックというのは銀通りという意味になるので、銀細工が作られていました。
山崎 今のハンバックは貴金属店街になっていて、昔の名残がありますね。
ソン そうですね。このハノイ36通りに住む人は、それぞれの通りで同じような生活様式で暮らしていたんです。
山崎 どうしてでしょう?職業が同じだからですか?
ソン それもあると思いますが、おのおのの通りに住む人たちは、同じ伝統工芸村の出身だったからです。例えば、家の造りで言うと、店舗と倉庫は家の前部分にあって、生活空間は後ろの方にありました。
山崎 ホイアンの古い家屋もそうでした。うなぎの寝床と言われる京都の町屋のような造りですね。
ソン そうです。間口が狭くて、奥に細長いチューブのような伝統的建築様式なんです。
山崎 こういうスタイルの家は、世界中にあるのかもしれませんね。ここで、一曲お送りしましょう。「~」です。
(曲)
山崎 「~」をお送りしました。先ほど、同じ村出身の同業者は生活様式が同じだったという話が出ました。
ソン はい。宗教などもそうです。田舎から出てくる時に、自分たちの信仰も持ってきたんです。それぞれの伝統工芸村には、寺やその職業を始めた人物を祀る神社があったからです。
山崎 それだけ大事なものだからですね。ハノイ旧市街管理委員会副委員長(チャン・ベト・アインさん)の話です。
(テープ)
「ハノイ旧市街には価値ある遺跡などいくつかの建築物がありますが、無形文化遺産も多く保存されています。例えば、各職業村や旧市街の人々の生活様式や習慣などがそうです。これは大切に守っていかなければなりません。」
山崎 ハノイ旧市街にある多くのお寺や神社では、旧市街に住む人たちの祭りや職業の創始者を供養する儀式が行われます。住民(ビンさん)の話です。
(テープ)
「ハノイの人たちは穏やかな雰囲気が好きなんです。それは旧市街独特の雰囲気です。毎日、家の戸を開けると、隣りの人が見えます。お互い、仕事で忙しくても、他の家で何かあったら、周りの人がすぐに手助けできるんです。ここにある多くの習慣は、昔ながらの助け合う農村のようなものだと思います。」
山崎 今の旧市街の多くの通りは、その名前通りの物を扱っていなくても、それぞれの場所や人々の生活スタイルは変わっていないんですね。
ソン そうですね。これからも、この昔のハノイのたたずまいを残していってほしいです。
山崎 みなさんもハノイの旧市街、ぜひ訪れてみてください。では、おしまいに一曲お送りしましょう。「~」です。
(曲)
「~」をお送りしました。今日のハノイ便りは、ハノイの旧市街についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。
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記事作者: Minh Sinh
情報源: http://hanoirekishi.web.fc2.com
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