2 時間ほどでニンビン市内に入り、右へ曲がって間近に迫る岩山の間を走っていくと、古都ホアルーに到着します。東門と書かれた門をくぐると、二人の王を祀る それぞれの廟があります。ここには今から千年前、ディン(Đinh:丁)朝(968~980)と前レー(Lê:黎)朝(980~1009)の二つの王朝の 都が置かれていました。いずれも国名はダイコーヴィエット(Đại Cổ Việt:大瞿越)と呼ばれました。
ベ トナムは、939年に千年に及ぶ中国の支配から脱し、独立を勝ち取りますが、わずか5年後、12使君と呼ばれる地方豪族が各地で割拠する時代に入ります。 その中から、ディン・ボ・リン(Đinh Bộ Lĩnh:丁部領)が平定し、968年、ディン朝を開きました。ホアルーに都を置いたのは、自身の出身地で活動の本拠地であったこと、天然の要害であ り、またダイラ(Đại La:大羅:現ハノイ)は中国寄りの勢力が優勢であったことなどがあります。
ディ ン・ボ・リンには様々な伝説が残っています。ディン・ボ・リンはカワウソの子で気性が激しく、敵軍が自分の息子を人質にした時、脅しにもひるまず逆に息子 目がけて矢を乱射したので、敵は驚き軍を引き返したといいます。また帝位についてからは、城門に煮え立った油の入った大鍋(鼎)と虎の檻を置き、法を守ら ない者はそれらで処刑するとして人々に恐れられたということです。国を統一したばかりで、人々を厳しく治めたことが想像されます。
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こ のように、都としての座はわずか40年ほどの短期間でしたが、ホアルーとその周辺はその後も重要な役割を担いました。陳朝期(1225~1400)にはホ アルーの南に武林離宮が建てられ、軍事、宗教の拠点とされました。陳朝第3代皇帝仁宗は、武林離宮の太微宮で修行し出家しました。また、ホアルーには、 ディン朝時代の経柱(仏教の経典を刻んだ石碑)が数多く残されています。経柱は唐の時代に中国で多く作られましたが、その影響を受けたことを伝える仏教遺 跡です。
記事作者: 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai
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